「ほほえみ」が支配する教室

「先生…。◯◯君にこれをこわされたの…」
1人の女の子がさめざめと泣きながらやってきた。
両脇には2人の友達。
泣いているその子を心配そうに見つめてながら。

泣いている子が握っている手を眺めるとそこには壊れたボールペン。
どうやら、男の子(A君)がふざけて女の子のペンを分解した様子。
しかし、構造が複雑でもとに戻せなくなってしまったよう。
数日前に買ってもらったばかりのお気に入りのペン。
女の子はシクシク泣いている。

A君に目を向けると、その子は席に座って下を向いている。
顔はひきつっている。
肩ははり、怒りの様子が見える。
目は机の中心をじっと見つめているが、こちらの会話にじっと耳を傾けていることがわかる。


いつもの自分なら、ここでカッとなる。
「どうしてそんなことするんだ!?」
「しっかり謝ったのか?」
「そんなことはしてはだめだ!」

そんな言葉が口から流れ出す。

しかし、その日はなぜかふと、ここで立ち止まる。


自分がもし泣いているこの子の友達だったら?
即座にA君を責めるだろうか?
謝らせることをゴールにするだろうか?と。

いやいや。きっとそんなことはしないはずだ。
まずは、その子の悲しみ寄り添い、本気でボールペンを直すのではないだろうか?

ふとそんなことが頭をよぎる。
そこで、A君のことは考えることをやめた。
本気でペンを直しにかかる。

「そっかー。よし。かしてごらん。一緒に直してみようよ。」

ペンを受け取り、いろいろな方法で組み立ててみる。
しかし、なかなかの強敵。
なかなか直らない…。

「これ、難しいね〜。でもちょっと燃えてきたな〜。絶対直したいね!これ!」
そんな風に言いながら、なおもいじくりまわし続ける私。
すると… いつの間にか、周りに人だかりが。


「先生。こうじゃない?」
「先生。俺のペンはこんな風になっているよ。」
「部品が足りないんじゃない?」…


すると、泣いていた女の子もいつの間にか泣き止んでいる。
本気で組み立てるペン先を見つめている。
いつの間にかワイワイ、ガヤガヤ。
辺りが楽しげな雰囲気になる。 すると…

「僕もね。さっきこういう風に組み立ててみたんだよね…。でもだめだったんだ。」

いつの間にかA君が隣に来ていたのだ。
さっきまであんなに固まって、机を見つめていたのに。
A君はいう。
「やっぱり部品が足りないのかなぁ…?」
すっと机から離れ、自分の机の下を探し始める。

すると、先ほどまで泣き続けていた女の子も
「わたしもいっしょにさがす!」
と言って、一緒に探し始めた。

さっきまでケンカしていたはずなのに…。

でも、結局部品は見つからず、組み立てもうまくいかなかった。
そんなこんなしているうちに、下校時間のチャイム。

「うまくいかなかったなぁ。悔しいから、これ預かっていい?」
女の子に私は聞く。
女の子は頷く。
それだけで、この日は終了。
謝罪がなくても、ペンが直らなくても、女の子は一応笑顔を取り戻した。

職員室で悪戦苦闘していると、隣の席の若者が声をかけてくれた。
理系の頭の切れる頼りになる若者だ。

『どうしたんですか〜?ペンですか?それ?』
「うん。これ、壊れちゃって…。でもなかなか直らないんだよね…」
『貸してください。う〜ん…?』

2人で相談しながら、組み立て続ける。
10分ぐらい経っただろうか?
「もしかして!!」
『こうじゃないっすかね!?』
「おおーー!」

なんとペンが直ったのだ。

若者にお礼を言い。
さっそく次の日に女の子に報告をする。
「◯◯先生と一緒に直したからね。会ったらお礼をいっておくんだよ」
ニコニコして受け取る女の子。
一件落着。
何気ない出来事。
でも、この出来事が大きな気づきをくれる。


なぜ、あの時A君は黙りこんでいたのか?
なぜ、黙りこんでいたA君は、私の近くに自然によってきたのか?
ケンカしていたはずの2人がなぜ、自然に協力できたのか?
教師の役割とは何か?
教師と子どもたちの関係とはなんなのか?…


教師はどうしても子どもたちを「評価」の対象として見てしまう。
「評価」し「叱責」する対象として…。
しかし、それは所詮「信用」の関係でしかない。
良いことをしたら認め、悪いことをしたら認めない。
条件付けの肯定に過ぎないのだ。
その子をまるごと受け入れる。
存在をまるごと。

それが「信頼」の関係。
子どもたちは、いや人はそれを本能的に見抜く。
その人が条件付けの肯定をしているのかどうかを。

なぜはじめ、A君は黙りこんで机を見つめ続けていたのか?
それは、「評価」「叱責」から身を守ろうとしていたから。
なぜ、A君は会話に自然に溶け込んできたのか?
それは、自分が「評価」「叱責」されない場であることを肌で感じたから。


ケンカしていたはずの2人がなぜ、自然に協力できたのか?
それは、両者が「正義」でも「悪」でもない横の関係で入られたから。
教師が「評価」「叱責」し「指導」という一歩を踏み出した瞬間に「善者」と「悪者」は決定されるんだ。

教師と子どもたちが築くべき関係とは?
それは「横のつながり」
これは「友達関係」に成り下がるという意味合いではない。
もしも、教師でなく、その子の「親友」だとしたらどんな行動をとるか?
それを見つめ続けるということ。
その時に真っ先に手に取る選択は「評価」「叱責」ではないはず。

今、重大なテーマにぶつかっている。
それは 「ほほえみは教室を支配できるのか?」
というもの。
「恐怖」ではなく「ほほえみ」が支配する教室。
これは、深く厳しいテーマだ。
相手を責めず、状況を受け入れ、微笑み続ける意志が必要だから。

教室というものを病にかけているのは、教師という自分自身なのかもしれない。
目を背けたくなるその事実に向き合っていくこと。

「ほほえみは教室を支配しうるか?」

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