「クラス会議」と「サークル対話」

「サークル対話」と「クラス会議」
両者は似ているように感じるけれど、その目指すべきものは違うように思える。
「クラス会議」は問題を解決することをゴールにする。
議題を設定し、それをみんなでどう解決していくかをみんなで考えていく。

一方「サークル対話」の目指すべきものは何か。
それは「対話」そのもの。
対話することで生み出されるものは予測不可能。
その中で何が育まれていくのか?
それを感じながら対話を重ねる。

ゴールは「生み出す」ことではなく「感じる」こと。
「過程」に価値を見出す。

「サークル対話」は「クラス会議」を包括しているのだと思う。
「サークル対話」をしているうちにそれが「クラス会議」に形を変えることはある。
しかし「クラス会議」は「サークル対話」に形を変えにくい。

対話というものは変幻自在なのだと思う。
「問題がある」から「対話」をするのではなく、 「対話」をするから「問題」も「良さ」も浮かび上がってくる。

「サークル対話」ってどうやるんですか?
どうやって始めればいいんですか?
はじめにどんなルールを設定しましたか?

先日の公開でそんな質問がとんでいた。
しかし、それはまさしく「クラス会議」を始める時の思考であろう。

自分がつくりたい教室ってどんな教室か?
確かに「問題を解決できる教室」というのも魅力的だ。
しかしそれ以上に「対話ができる教室」にしたいと強く願う。
ひたすら対話を重ねる。
それが感覚として刻み込まれれば、問題が起きても乗り越えられるだろう。

「問題を解決する」ために「話し合う」のではない。
「対話している」うちに「問題が解決している」のではないか?

「対話」というものがもつ本質的な力とは?
興味深いテーマだ。

「クラス会議」という概念を一度脇に置いておこう。
ひたすら「対話」というものを積み重ねていく。
そんな教室をつくれるか?

この記事へのコメント

人気記事

最近の記事

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村