解決に導く対話とは??

やりたくないから文句を言う。
苦手だから言い訳をする。
向き合いたくないから手を抜く。
自分を守りたいから何かのせいにする。

「できない」から「やらない」のではない。
「やりたくない」から「やらない」ってこと。
「原因」があるから「今」があるんじゃない。
「目的」があるから正当化する「今」がある。

この考えはとても大切だと感じる。
結局、向き合いたくないだけ。
向き合おうとするほんの少しの勇気が世界(の見方)を変えていく。

アドラーの言う「目的論」に照らし合わせると、大概のことは説明できる。
しかし、その説明ついた所で、その人が成長するとは限らない。
「やらない」という目的をもっていて何が悪い。
そんな風に開き直ってしまったらそれで終わり。

「解説(かいせつ)」できても「解決(かいけつ)」できない。
それはここにも当てはまる。
目的をもっていることを解説しても、それをどんなに解説しても解決に導くことができるとは限らない。

では、「解説」を「解決」に高めていくためにはどうすればいいのか?
そこで必要になってくるのが「対話」なのだろう。
「他者」との対話。
それに伴う「自己」との対話。


「なぜ学ばないのか?」
を責めるのではなく
「なぜ学べないのか?」を共に考える。
そんな対話。

自分の中に何かがストンと落ち、絡まっていたものが「解」きほぐれ、 こうあろうと「決」めて進もうと思えるようになること。 これが「解決」された状況。

そんな感覚を積み重ねた分だけ人は成長していけるんだろうな。


教室に「成長につながる対話」を。
問題があるから「対話」するのではなく、
「対話」するから「自動化されていた問題」が見えてくるような深い対話を。

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