なぜ自分の「語り」は子どもたちに伝わらないのか?

『学び合い』においてめちゃくちゃ重要なのは「語り」だよね。 でも「語り」が子どもたちに伝わらない時ってあるんだよね。 「今日は失敗したなぁ…」 と感じることもしばしば。 「伝わる語り」と「伝わらない語り」 そこの線引きってどこにあるのかな? どういう語りは伝わらないのか。 ちょっと考えてみるとこんな感じかなと。 今まで自分が語った経験とか、すばらしい実…

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学校の「常識」って本当に「常識」なのだろうか?

「どう教えたらいいのか?」 ではなく 「そもそも教えることはいいことなのか?」 と問う。 「どうしたら学校は楽しくなるか?」 ではなく 「そもそも楽しい学校は存在するのか?」 を問う。 「どうしたら楽しく学べるか?」 ではなく 「そもそも学びとは楽しいものなのか?」 を問う。 「どうしたらいい先生になれるか?」 ではなく 「そもそ…

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失うから取り戻せる

一度失うから取り戻すことができる。 握らなければ放せない。 これに気づくことが矛盾を飲み込んでいくことにつながる。 教師はしばしば「握る」ことが悪だと考える。 失うことよりも得ることを優先する。 強いずに自由を語る。 しかし、ここに大きな矛盾がある。 放すためには握っていなければならない。 得るためには失っていなくてはならない。 強いないと自由は感じ…

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語る言葉への戸惑いを踏みこえる

教師の語りとは削ぎ落とせるか? 教師の願いとは削ぎ落とせるか? それについて考えている。 それが今年度の課題なんだ。 人を育てる究極のゴールは自立。 自立とは本人が歩み続けられることだ。 「先生がいたから」 「先生のこの言葉があったから」 というところから 「自分はこう思うから」 に高めること。 以前読んだ本を読み返した時、 自分が今語り…

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「見る」から「感じる」へ。耳をすますこと。

学び合いにおいて大切なのは耳である。 これは坂内さんとずっと対話を重ねてきて得た1つの結論。 だから、私たちはあんまり目で授業をモニタリングしていない。 常に耳で。 キンキン声、大声の説明、ばか笑い。 そういうものがあったら学びをストップさせる。 子どもたちって不思議なもの。 目でモニタリングをしていると、教師が見ていない時、学びの質がぐっと下げる子がいる。 耳…

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