「問いをもつこと」は「考えること」

「問いをもつ」ということは「多くのことを考える」ということ。 確かにそうだと心から思う。 思考停止に陥っている人の頭の中には間違いなく「問い」はない。 「問う」という行為は「考える」ということへの入り口なのだ。 しかし、そうは言っても「問いをもつ」ということは難しいものだ。 私たちが育ってきた学校制度において大切なのは「問い」よりも「答え」だからだ。 「発問」とい…

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成長の可視化

「◯◯のために◯◯が必要なんだ」 数年前まで自分はこんな言葉を振りかざし続けていたと思う。 しかし最近はこういう言葉をあまる使わなくなったように感じる。 わざわざ力を入れずに語らなくても、伝えることができるようになってきたのかもしれない。 「◯◯のために◯◯が大切」 この言葉は物事のスタートラインとしては大切だろう。 しかし、時間の経過にしたがっ…

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「自分」と「世界」との距離を広げていく

自分と世界の距離を広げていくこと。 これが「成長する」ということなのだと感じている。 幼い子どもたちは「自分」と「世界」の距離が短い。 「自分」=「世界」なのだ。 「自分」がいやならばいや。 大切なのは「自分がどう思うか?」なのだ。 自分の中に自分がはりついている状態。 だから世界を「自分の目」「自分の感じ方」を通じてしか見ることができない…

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視点の違い

最近考えること。 それは「子どもたちと、私たち大人では身につけるべき能力が違う」ということ。 何となく気づいていたが、体感としてストンと落ちたのはここ最近のことだ。 当然のことながら子どもたちは生きてきた経験が短い。だからこそ未来に思い煩わされることなく、常に「今」を感じながら生きることができる。 しかし「未来」という概念が薄いために、先に起こることについて…

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「怒られたくない」から「しっかりとやる」?

「怒られたくないからしっかりとやる」 と 「悲しませたくないからしっかりとやる」 は結果としての行動は同じでもまったく違うものだ。 「怒られたくないからしっかりとやる」 これは相手(教師)への恐怖心による行動だ。 しかし、「悲しませたくないからしっかりとやる」は違う。 これは相手(教師)を大切にしたいという想いが込められた行動。 …

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「哲学」は若者を殺す?

「成長」という言葉の中には隠された悪がある。 「成長」とは必ずしも「善」とはいえない。 そんなことを考える。 成長するにつれて、物事に意味を見出すことができるようになっていく。 それは意味を見出さないと動けなくなっていくことにも繋がる。 「なぜ?」「なんのために?」などと問わなくとも子どもたちは全力で楽しむこと…

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「なぜ?」「何?」ただそれだけ。

教科書は学びへの本質に斬り込むための入り口に過ぎない。 答えはすべて教科書に書いてあるのだから。 例えば理科。 先日台風の単元を学習した。 台風の進み方。 台風が接近すると天気がどう変わるか? 日本に接近する季節。 教科書で扱っている内容はこの程度のことである。 子ども達は今までの経験からこれらの問いに簡…

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学び続けるために繋がる。学び続けるために己を開く

失敗と成功の線引きってどこよ? 価値のあることと価値のないことの線引きってどこよ? 線引きは他人にされるものではない。自分がするもの。 大切なのは前に進んでいる実感をもてているかだろう。 全体ではなく、小さな小さな部分に成長はある。 しかし、そうは言ってもリズムが悪くなる時はある。 そのような時は小さな成長が看取れなくなるものだ。 …

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評価

まずいことをやってしまった子がいた時。 それは考えさせるチャンス。 なんて思えればいいなぁと思っています。 (実際はなかなかうまくいきませんが…) 「今の自分って胸をはれる自分?」 「今の自分って100点中何点ぐらい?」 「どんな自分になりたいの?」 「今のままでいいの?」 「ゆっくり伸びてる?それとも止まっている…

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失敗から学ぶこともあるじゃない?

楽しむって大切だと思う。 楽しくなかったら、どんなことも続かない。 でも、楽しい!って思えたら、人はどんな苦労も簡単に乗り越えていってしまうもの。 私はいつもクラスの子ども達に「結果を出せ」と言う。 でも、こんなことも言う。 「人は失敗して成長するんだよ。じゃんじゃん失敗しようぜ!」 「失敗してもいい。でも失敗したら…

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