「当事者意識」が可視化される場を

「当事者意識」が人を育てる。
これは前からずっと考えていたことなんだけど、どうすれば当事者意識をもてるのかがイマイチわからなかったんだよね。

自由に学べる環境があれば、「当事者意識」を育てられるのかな?なんて考えて試行錯誤した時期もあったけど、それはかなり怪しいなぁと。
自由に学んでいても、「当事者意識」がないことなんて普通にある。

「当事者意識がある子」っていうのは、ぐんぐん伸びていく。
でも、「当事者意識がない子」っていうのは当然伸び悩む。
自分ごととして感じられないのだから当たり前だ。

「当事者意識」ってどうやって育てるのかな?
そのヒントがこの前の理科の時間にあった、3分間プレゼンにあったんだ。

4人で15分間でプレゼンをまとめる。
そして3分間で発表する。
話し合いの過程でも「当事者意識」は見えるけど、それよりも見えるのは3分間のプレゼンタイムだ。
当事者意識がない子は当然、黒板の前にボーッと立っているだけ。
誰かが発表しているのをまるでお客さんのように眺めているだけなんだ。

しかし、当事者意識がある子は違う。
3分間でどうやって自分たちの考えをわかってもらおうか?
それを考え言葉を紡いでいく。

よくも悪くもその「差」っていうのが3分間ではっきりと見えちゃうんだ。
そして、それは本人たちも気づいている。
自分が班の発表に貢献できたか、そうではないかっていうのは。

自由な学び、最後に書く。
こういう学びを推し進めてきたんだけど、これって正直ぬるいところがある。
できない自分をメタしにくいんだもの。

伸び悩む子っていうのは、基本的にメタするのが苦手なのさ。
だから、どんなに話し合いがうまくいかなくても、最後に書いてみて書けなくても、そんな自分を見つめ直すことが難しいのさ。
そう考えると、この3分間プレゼンタイムは、それを強烈にメタすることができるきっかけになりそうだなぁと。

その集団にどれだけ「貢献」できるか?
それが人の価値を決めるんだと思う。
これは、揺るぎない事実。

貢献するってどういうことなのか?
自分ができる貢献の仕方ってどういうことなのか?

こういうことを徹底的に考える場が教育の場にこそ欲しいと思うんだな。
この「貢献しようとする」感覚って大人になってからすごく大切じゃないかなぁと。

うちのクラスの子は「学び合う」ことはばっちりできる。
それを「書き表す」こともばっちりだ。
でも、それを「伝える」ということを学ぶ場を今まで用意していなかった。
だから、みんなに伝えるのがあまりうまくない。
黒板の方に体たとじちゃうし、資料の提示のしかたも甘い。
声の抑揚もないし、発表構成も甘い。

だって、そんなことを今まで求めてこなかったんだもの。
それは全部自分の責任なんだ。

国語の授業で打ち上げ花火のように終わらせるんじゃなくてさ。
来年度はあらゆる角度から徹底的に「伝える」練習を積み重ねていく場を構成しようと。
そんなことを決意している3月。

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